京都比良山岳会
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活動記録 > 2006年
[No.2797] 愛宕ケーブル道・水尾でゆず風呂&地鶏


【日程】2006年12月3日(日)
【参加者】計11名
【天候】曇時々小雪
【コースタイムと高度】
地点タイム高度
清滝バス停9:05
清滝9:2080m
第1トンネル入口9:40130m
第1トンネル出口9:40145m
第2トンネル入口9:45160m
第2トンネル出口9:45
第3トンネル入口9:55230m
第3トンネル出口10:10265m
第4トンネル入口10:15325m
第4トンネル出口10:25
第5トンネル入口10:35440m
第5トンネル出口10:50520m
第6トンネル入口10:55580m
第6トンネル出口11:00585m
旧ケーブル駅跡11:25735m
旧ホテル跡11:30
水尾分れ11:45695m
愛宕大神12:15924m
水尾分れ12:50695m
つじの家13:35280m
Total Time 4:20(休憩時間を除く)

【記録】48期 Y.K.
 清滝にて超満員のバスを降り10人集合。表参道行きのハイカーを見送ると、登り口でリーダーより地図を配布される。今回の課題はケーブル道を書き込めとのこと。他パーティーもなく、Y浩さん、Iさんに高度をとってもらいながらの探検山行である。
 登り始めは左手頭上に表参道の舗装路が見えるが、すぐに分かれてしばし尾根上を進む。かろうじて残る石段と倒木には苔がぎっしり。ツタ・シダ伸び放題の割にはよく踏まれている。そりゃ表参道の急階段よりかはこっちの方が楽しいもんねー。トンネル前でヘッドライトを装着し突入。見た目もトンネル内も堅牢。と思いきや第3・第5トンネルは崩壊。どれどれと崩落のトンネルに5〜6人連れ立つ偵察隊。う〜ん、このトンネル崩落で怪我したら保険扱いになるのかしら…それより救助できるのかいな。一応健常人ではないし、今回はおとなしく読図勉強ってことで。とそこへ度々N彦さんと無線交信していたN雄さんが後方より登場。結局お二人の無線交信は下山まで続き、それを新参者はホウとものめずらしげに見ていた。第3トンネルをテープを追って右から巻き支尾根を越える。第5トンネルの巻きもしかり、巻きルートはやたらに親切で一般道なみのトレースである。山腹をえぐって作られた薄暗いケーブル道は、第5トンネルで尾根を巻き西に進路を変えると明るくなり四辻となった。右に空也滝への下降路、左は参道への合流道。その分岐から少し行くと噂の崩落箇所が出現した。長さ10m弱。足元の山肌が崩れ、幅1m程のボロボロの石組みだけが両端を支えに空中に残っている。はああ…こういうのが断然困る。崩れるかもしれない足場なんて当分はいらないやい!と喚きつつ超へっぴり腰。はぁ…。
 背後の比叡山をポイントとしてN雄さんより山座同定の講義を受けた。八丁平の向こうには武奈ヶ岳も見えている。でも天気は下り坂、ケーブル駅につくと寒風が吹き付けてくる。問題の駅はボロボロの石柱・床・階段が残っているが吹きっさらし。なぜか松がニョキニョキ生えてるし。すぐ向こうには展望ホテルの跡が残っていた。ロビーのタイル床と石垣のみが残っており、中からはやっぱり松がニョキリ。N田さんによると自然荒廃とのこと。当時はここを着物の女性が歩いていたようだが、今目にしている風景には屋根なんぞ跡形もない。すぐに参道と合流し一同神社を目指す。と「ゴミが舞ってる?」との声。なんで山にゴミが…って違う違う。「雪だ、雪が降ってる!」前方の木々は薄ら雪化粧。今冬初雪。予報に期待して山に来てよかった。
 人でごった返す神社から早々に退散し、参道の東に付けられた裏道を通る。今年前半はよく愛宕山を駆け登っていたが表参道ばかりで、ケーブル道等の存在など知らなかった。柚子と鳥がなくても来て良かったなあ(でもお腹減ってきたわ…)。水尾分れからは徐々に急坂となり砂利に気を配り下山。周辺に生っている柚子のネコババを企んでいたら、あっさりとつじの家に着いてしまった。柚子湯に柚子皮の甘煮の付き出しを頂き、風呂に上がった後、早速鍋を囲んで年忘れにいそしんだ。最後にお母さんに柚子を頂き、駅まで送迎してもらいのんびりと帰途についた。

【体験山行】T.A.
遅くなりましたが日曜日の愛宕山お疲れさまでした。えっ、N彦さんも風邪をひかれていたのですか?実は私も数日前から風邪気味で前日にはめずらしく熱も出たのですが、やはり鶏スキは捨てがたく、鼻水タレタレ状態で登っておりましたのです。でもさすがにおいしかった〜いろんなお酒もたくさん頂きました。ありがとございます(^-^)今回は地図に載っていない旧ケーブル道ということで、普段からよく登っている愛宕山のいったいどのあたりを歩くのかなぁと思っておりました。高度からだいたいのトンネルの位置を確認するなど、読図のどの字も知らない私にとっては、びっくりぎょーてんでしたが、こ、これは、私も読図を学ばねばいけないっと痛感しましたです。トンネルをいくつもくぐり、駅舎やホテルの跡が見れたりと、おもしろいコースでした。いつもはたいてい表参道のピストンか、たまに月輪寺から登るかですので、大むかしにスキー場があったとは聞いてはいましたが実際にはピンときてなかったのです。それが納得でき、そしてまた愛宕山の別の顔を発見っ、という感じでした。今回も楽しく歩かせていただきました。ありがとうございました。

【感想】 48期 J.I.
 愛宕山ケーブル道ハイキングとは何と魅力的な企画!鶏すきは興味なかったけれども,ぜひともこの企画に参加しなければと思い,わがままを言って私だけ手弁当で参加させていただいた。道は表参道のように整備されてはいなかったが,トレースがあり,同じように物好きな人間がいるものだと感心し,残された軌道敷跡,駅舎跡,ホテル跡を見て,往年の賑わいを想像してみたりと,とても豊かな時間の持てた山行だった。

〈参考までに〉高度が狂ってるかもしれませんが・・・
登山道入口60メートル
第一トンネル入口130メートル
同     出口145メートル
第二トンネル入口160メートル
同     出口175メートル
第三トンネル入口230メートル
同     出口265メートル
第四トンネル入口325メートル
同     出口340メートル
第五トンネル入口525メートル
同     出口525メートル
第六トンネル入口580メートル
同     出口585メートル
崩壊寸前の橋600メートル
ケーブル駅舎720メートル
ホテル跡740メートル

【感想】 25期 T.S.
昨日は、リーダーご苦労様でした。
愛宕山は、今まで一番沢山登っている山ですが、Y本さんの、例会は何か新しい発見があって、新鮮です。
ケーブルカーが、700メートル超えた高いところまでついていたのは、意外であり、建設に携わった人の苦労が偲ばれました。
Y本さんと知り合って、山の楽しみ方が、広がった気がします。来年も、宜しくお願いします。新年集会で出会えるのを楽しみにしています。お体を大事にして、早く風邪を治してください。

【感想】 48期 T.Y.
今回の愛宕山山行は、今まで登った事のない、ケーブル道跡を登り、その後水尾でゆず風呂&地鶏のとりすきが食べられるとあって、探検有りごちそう有りと至れりつくせりでした。印象的だったのは、ケーブル道のトンネルの中からあるいてきた道を振り返ると、入口できりとられた風景が、とても明るく不思議な気持にさせてくれたこと。また、駅舎跡から少し行ったホテル跡は、土台?だけが残され、遺跡のようにひっそりたたずんでいたこと。愛宕山の歴史を感じました。ただ今回も先日の山行と同様下山時に右ひざの横が曲げると痛くて、ゆっくりしか歩けず、皆さんのペースを遅くしてしてしまったことを反省しています。「先にに行ってください。」といった私に「気にしないでいいよ。」といってくださったメンバーの皆様の優しさに、ほろりとなりました。次回までには、メンバーに迷惑をかけないように、ストレッチ及び筋トレにはげもうと思います。本当にすみませんでした。下山後のゆず風呂&とりすきは言うまでもなく、かなりおいしかったし、楽しかったです。一度このようにいいおもいをしたら、くせになるのでは・・・・と心配しています。N彦さん、すてきな山行ありがとうございました。

【記録・感想】 H.Y.
《愛宕山鉄道について》
愛宕山鉄道は昭和4年4月12日嵐山〜清滝の平坦線が開業し、同年7月25日には清滝〜愛宕の鋼索線が開業した。同時に山上スキー場、テント村が設置された。翌昭和5年7月20日には愛宕山ホテルも開業し比叡山を上回る一大リゾートとして賑った。そして愛宕山頂を越え北側にあるスキー場までロープウェイの建設も計画されたようだがこれは実現しなかった。そして戦局が厳しさを増す昭和19年2月10日不用不急の路線として廃止させられレールがめくられ鉄砲玉へと変わっていった。この時スキー場、ホテルなど観光施設も閉鎖され、愛宕山は元の静かな山に戻ってしまった。
戦争が終わり愛宕山鉄道は親会社の京阪電鉄や京福電鉄に働きかけ復活を目指すが、親会社は自社の復興に手一杯で果たせないまま昭和34年路線免許が失効し会社は解散し永遠に過去のものとなってしまった。
片や都の双岳、比叡山のケーブルは大正14年に京都電灯の手によって開業し、京福電鉄に譲渡されて間もない昭和18年に戦時休止したが、昭和21年には再開業している。やはり親会社の直営路線であったのが明暗を分けたのだろうか。
愛宕山鉄道平坦線は嵐電と同じ1,435oの軌間、架線電圧600Vの単線鉄道。起点の嵐山駅は、今の京福嵐山駅の一番北側ホームの両面使っていたそうで駅を出てすぐ左にカーブし今の清滝道の高架ルートで山陰線を越えていた。(昭和40年代の清滝道が開通するまで山陰線の傍に橋台の跡が残っていた)その先も清滝道がそのまま軌道跡で"鳥居形"の曼荼羅山の麓の土留めの石垣に等間隔で窪みがある。これが架線柱の跡でこの内2箇所には電柱の残骸が残っている。試峠の下を抜ける清滝トンネルはそのまま鉄道トンネルの遺構で、今では単線の線路跡を交互通行によって車が走っている。平坦線の清滝駅は今の清滝バス停の辺りにあった。そして清滝川への下りの急さは今も昔も変わらない。
ケーブル清滝駅は、表参道登山口のすぐ傍らにあった。駅への石段だけが残り、駅跡を示す案内板が掲げられている。広場の先には一筋に延びる軌道跡があり、山上の愛宕駅までは2キロの標高差638.83m、営業キロ(実キロは2.13キロ)あった。軌間は1,067oの標準軌でJR在来線と同じ幅であり、山頂の機械室の動力でケーブルを巻上げケーブル両端に接続された車両を井戸の釣瓶の如く上下させていた。
廃止後62年が経ちコンクリートの劣化は激しく、軌道表面は角が取れ、架線柱の台座は崩れ落ちているものもある。特に深刻なのはトンネンル内部の崩壊で6本あるトンネルのうち第3トンネルと第5トンネルは清滝側入口から5m付近まで土砂で覆われ全く通行できない。中間点の列車がすれ違っていた箇所は第4トンネルを出た所の橋梁上でトンネル内から分岐が始まっている。通常の鉄道だと両方の車輪の内側にフランジと呼ばれる出っ張った部分がある。それによってレールから外れることなく走るのが普通鉄道の原理だが、ケーブルカーは線路の中央にケーブルが這っているので分岐器を入れることができない。そこですれ違うとき内側になる車輪のフランジをカットし平にして反対側の車輪だけで誘導しケーブルを通す線路の切れ目を乗り越えていた。(現在残るケーブルカーは単車ケーブルを除き殆どこの方式である)
第6トンネルを出てすぐ大規模な路盤の崩壊箇所があり、線路の台座だけが宙ぶらりんの状態で浮いている。まだこの上を歩くことはできるが早晩危険な状態になるだろう。山上の愛宕駅はコンクリート造りの二階建てで外観はそのまま残っている。廃墟からはとても当時の賑わいは想像できない。愛宕駅跡から745mの標高点に登ると少し下に愛宕山ホテルの跡がある。こちらは木造建築だったのか基礎だけが残り建物の形は想像できない。まっすぐ進み表参道との合流点付近まで来るとまたもやコンクリートの残骸に出くわす。これは旅館水口屋の跡。合流点は水尾分れから20mほど山頂方向に入ったところで愛宕山鉄道の遺跡エリアは終る。

【感想】44期 T.S
いーや、結構な山行でした。前々より水尾の柚子風呂に入り、すき焼きが食べたいと思っていました。
会員の方々と、スッポンポン(風呂)の付き合いが出来、又すき焼きも美味かった。
冷たい麦酒、H史さんがもってこられた、にごり酒「五郎八」私の五臓六腑にしみわたりましたね。
60年前に、朽ち果てたケーブル駅。今はボロボロになって建っている姿は、今の私の様でした。

【愛宕山ケーブル道ハイキング・水尾感想】 40期 K.N.
 その昔、愛宕山にケーブルが走り、山上にはホテルやスキー場があったという話を聞いていましたが、その存在を確認してきました。
 崩れかけた屋根に割れた窓、がらんとした駅舎は60年前にここに取り残され、人々の記憶から忘れ去られていったのでしょう。かつて雪のシーズンには賑やかであったろうホテルの客室にも、松の大木が何本も侵入していました。何気なく、足元に積もった落葉を靴でどけると、美しいモザイクタイルの床が現れ、何だかとても寂しい気持ちになりました。
 水尾のとりすきとゆず風呂は冷えた体に最高でした。昔の贅沢と現代の贅沢を一度に味わえた一日でした。

【愛宕山例会感想】 36期 Y.T.
廃線跡を登るのは4回目ですが、トンネルの位置を特定しながら登るのは初めてでした。教えてもらったトンネルの入口と出口の標高、コンパスで確認したトンネルの向き、高尾の方角などを基にトレースを地図に記入してみました。結構難しかったです。
戦前は嵐山から清滝までは電車で、そこからケーブルで上まで行ったようです。遊園地、スキー場、飛行塔、ホテルなどが作られ賑わっていたとのことです。愛宕山ホテル跡は今回初めてでした。今思うとケーブルが復活しなくて良かったのかもしれません。
柚子の里:水尾は何度も通っています。何年か前までは村の子供が袋に入れた柚子を並べて「柚子こうてんか」と声をかけていましたが、最近は見ません。少しさびしく感じます。
柚子風呂の後のお酒と鶏すきは格別でした。ゆっくり飲んでたくさん食べて大満足。楽しく今年の山を締めくくれました。
今年は私としては個人山行も含め結構多くの山に登りました。楽しい例会を作ってくださったCLに感謝・感謝。

【感想】44期 N.Y.
 去年の10月から続けてきた月1回の「花巡り・紅葉巡り」例会も、今回の愛宕山ケーブル道&水尾例会をもって今年も無事終了とあいなりました。
 ずっと参加してくれた会員のみなさんやすっかり会員のような顔をして参加してくれたみなさん。楽しい山行時間をたくさん共有できたことに感謝します。
 特にずっと私と例会コンビを組んでもらったT野さんはもとよりずっと継続して参加してくれたメンバーのみなさんとご一緒できたことはとても大きな喜びです。私は春までしばらく冬眠いたします。ただ、今年も暖冬ですので、適当な越冬穴が見つからかない場合は、打見や水晶小屋に現れるかもしれませんが、そのときは花見ならぬ雪見でおつきあいの程をよろしくお願い致します。
 今年の各例会を通じて、S倉さんの知人のK堂さんやY島さんたちといろいろなところに行けたし、当会カルチャー分科会の「花&植物」観察ミュージアム?ではY田学芸員も採用(ただし無給)できたし、きのこ博士のN田さんからもいろいろなことを習いましたし、来年は「館友」決定でしょう!また、25期の会員が合わせて4人も参加してくれましたし、後半は女性メンバーの魅力にひかれてか、バリバリ組の屈強の男性会員がかよわい花(?)を見に来たりしてくれたのは感動でした。
 さて、私はいつも家から見える愛宕山を眺めて思うのですが、たぶん、比叡山をみて育つ人間と、愛宕山を見て育つ人間はきっと質的に違うのではないかと思っています。比叡には延暦寺があり、京都盆地からは御所を守るエリート達が日々修行しているとの潜在意識が京都市民に歴史的に厳然としてあるのです。それに対して、愛宕山にはもうお寺はなく、あれほどにぎわったケーブルやホテルや遊園地もなくなって、今では神社がひっそりとあるだけで、京都市民にとっては「火の神」のまします庶民の山となっているのではないでしょうか。まさにけわしくしんどい「山」なのです。平安京の左京が栄えて湿地であった右京が廃れていったのは仕方がないとしても、やはり西方浄土としての西山の峰々は有名寺院の立ち並ぶ東山に後れをとったのはしかたがなかったのかもしれません。
 ただ、全国の天狗の長男である、太郎天狗は愛宕山に住んでいましたし、その弟である次郎天狗は比叡山にいたのですが、叡山の僧侶達に追い出されて比良山に逃げていきます。
そう言う意味では、愛宕山の弟分は比良山ということになりますか。やはりこの2山は縁があったのですね。金剛葛城で活躍し、大峰を開いた役小角は泰澄(雲遍上人)とともに愛宕山でその太郎天狗と会見したという記録もあります。その太郎天狗が住んでいた大杉が今も社殿の下に埋まっているのですから、古いようで実は「今」でもつながっている話なのですね。
 去年の11月の「紅葉めぐり」西山例会で金蔵寺に行きましたが、実はあそこには、愛宕山が明治の神仏分離令―廃仏毀釈の時に神社を選び、そのかわり、お寺の本尊の「勝軍地蔵」を金蔵寺に頼んでかくまってもらったそうです。それで急きょ金蔵寺は「勝軍地蔵」を本尊としたそうです。もちろんあの明智光秀も勝ちを祈った「勝軍地蔵」様です。そして、彼は月輪寺によっておみくじを引きます。そして「時は今雨もしたしる五月かな」と詠んで一気に東に向かいます。行き先は本能寺です。その信長は、すでに叡山を焼き討ちしています。そのときにはらわたを煮えくりかえしたのは光秀だと言われています。
 愛宕山塊・賀魔蔵(かまくら)山の月輪寺には有名な法然や親鸞はもとより、空也も修行に入っています。一方の叡山が裕福なのに比べ、こちらの月輪寺は同じ天台系列でも、お参りする人も少なくひっそりとしています。自分の足でここまで歩ける人だけがお参りの御利益を受けられるのです。おいしい水とホンシャクナゲがゆっくり見られるのは幸せだと言わなければなりません。
 そんなこんなできっとみなさんも愛宕には親しみが湧くのだと思います。わたしも濃淡はあれ、かれこれ40年近く愛宕には登ってきましたが、本当にお山自体が変わらないのです。いわば永遠の鎮守の杜としての「山」なのです。20代はバリエーションでいろいろ谷や尾根や沢を歩きました。40代は歴史などに興味が湧きました。50代になると今度は総合的に魅力を感じ始めました。特に愛宕山と比良山は兄弟的な山で、最近はその深い「縁」をも感じ始めています。比良山で小さな石仏を見つけるとほっとします。
 そんな中での今度のケーブル道の遡上と歴史ある小道を一部歩けたことはとても懐かしくまた楽しく、とくに若い人たちがこのような愛宕の歴史や現実を知ってくれたのにはとても充実感が得られました。
 水尾の鶏スキはおいしかったです。来年もここで決まりですね。みなさん、お疲れ様でした。今年はありがとうございました、また来年もよろしくお願いします。


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