京都比良山岳会
K.H.M.C. -- KYOTO HIRA MOUNTAINEERING CLUB -- ■ 入会案内 ■ メール
ホーム | 会の案内 | 予定 | 活動記録 | リンク | 掲示板 | 会員専用
活動記録 > 2008年
[No.2901] 依遅ヶ尾山・長老ヶ岳 −関西百名山シリーズNo.12・13−


S方前会長の綾部の実家改築落成を記念しての今回の山行は、丹後間人の依遅ヶ尾山と丹波和知の長老ヶ岳に行った。S方邸ではお祝いの記念植樹としてニオイツバキを贈った。そして関西百名山に雨なしのジンクスは今回も守られた。
【日程】2008年10月18日(土)〜19日(日) 曇り一時晴
【参加者】12名

【1日目行程】平成20年10月18日(土)晴れ
京都7:00=道の駅丹波マーケス7:41-8:10=矢畑登山口9:58-10:13〜依遅ヶ尾山11:16-12:01〜矢畑登山口=丹後温泉はしうど荘13:00-13:50=△S方邸15:36
【歩行データ】 歩行3.2q 2:28 延登高 365m 延下降 365m 1座登頂

京都府下4箇所(二条駅、桂川駅、山崎駅、洛西竹林公園)で集合し、各車丹波インターを下りて直ぐの道の駅で4台の車が揃った。霧の丹波地方を抜け9月に開通したばかりの京都縦貫道京丹波わちICで再び高速に入り終点の宮津天橋立ICで下りた。依遅ヶ尾山の登山口は今では京丹後市となった、旧丹後町間人(たいざ)の矢畑集落の奥にある。車10数台が停められる広場があるが我々以外の車はない。
恒例のミッションはここから始まる。ミッション1:「登山ルートを地図に書き入れる」はTCの配布した2.5万図には林道の先端以後登山道の表示がなく地形を見ながら何処を歩いているかを判断するという課題。
登山口の標高はすでに185mある、林道を2曲がりした所に「ありが棟」と看板のある藁葺きの竪穴式住居のような休憩舎?がある。登山道はここから始まり東の方に進む。快晴で気温はどんどん上がり暑い。25℃は十分超えたようで汗が噴出する。標高の割には等高線の非常に混んだ山で直登ではあり得ない。小さなジグザグを繰返す。尾根を登っていたが顕著な特徴として途中で西方向に谷を渡る。そして稜線に乗り上がると右に方向を転じて山頂直前では南に回り込み1時間で山頂に到った。
依遅ヶ尾山(540m)は丹後半島に北岸にあり半島先端の経ヶ岬まで見通すことができる。山頂には石垣に取り巻かれた祠がありその中に役行者小角の石像が祀られているその上方には2等三角点「一ヶ尾」が置かれている。休憩の後、ミッション1の結果を検討、地形の特徴的なところを地図に当てはめルートを完成させた。山頂展望は素晴らしくミッション2・3の山座同定を行なう。先ずは金剛童子山((613m)。20万図で方向を定め、磁北線を合せコンパスを向けると8キロ余り南に金剛童子山が特定できた。次は太鼓山(683m)これは南西7キロ余りの所に特定することができた。
ミッションが終了しゆっくり過ごしたがこの間山頂は我々の貸切状態、下りは淡々と40分で下り一路丹後温泉へ向かう。間人集落の東の外れに立派な温泉施設がある。丹後温泉"はしうど荘"は入浴料500円だが、回数券はないかと尋ねると500m南にある"サラダ館"というお店で売っているという10枚綴りで3,000円とお徳なのでTCがひとっ走り買いに行った。露天風呂からは砂浜越し立岩が見え海の青さと相まって、とても素晴らしかった。ただし女湯は塀で囲われ見えなかったとか。
入浴後は一路綾部に戻り、食当S方真知子さんとM崎さんの指揮の下、食材を買出しS方邸へと乗り込んだ。古くはこの地域の庄屋さんで養蚕もされていたというお屋敷の敷地は350坪。都会育ちのTCには信じがたい広さに唖然。早速ツバキの苗木を植樹し改築を祝った。この後はお屋敷見学ツアー、多額の費用を掛け意匠を凝らした部屋に皆感嘆し、蔵を整理していると出てきたという火縄銃や槍が梁に掲げられ、さりげなく並べられたお猪口は日露戦争の記念品それぞれ歴史の重みを感じさせられた。
夜だけ参加のM山さんが到着し宴会開始。囲炉裏の火で鍋が煮え、七輪の炭火で鮎の塩焼き、シシャモにハタハタ。庭で採れた丹波黒は実に美味しくいつも集会帰りに行く"井川丸"の100円の枝豆とは大違いだった。そしてS方さん秘蔵のシャブリの赤白、バランタイン21年が振舞われ最高潮。酒に酔い、S方邸に酔った一晩でした。

【2日目行程】平成20年10月19日(日) 晴れ
△S方邸6:25=仏主駐車場7:17-33〜仏主峠9:14-25〜長老ヶ岳9:47-10:23〜林間広場11:15-11:21〜仏主駐車場12:25-12:32=日吉温泉スプリングひよし13:15-14:48=京都15:45 【歩行データ】 歩行10.7q 4:52 延登高 800m 延下降 800m 1座登頂
5時に起床、食当によって手際よく準備された焼ソバとゆで卵、ハム、パン、おにぎりの朝食を食べ朝の準備を済まし予定より30分ほど早い6:25に出発した。長老ヶ岳をパスして後片付けのため残留してくれる食当2人に後を託してS方車を除く3台の車で霧の立ち込める綾部市内の抜け道から国道27号線へと抜ける。流石は地元S方さんのナビゲーションだ。
京丹波町仏主(ほどす)登山口に着くころには霧も晴れた。バス停からさほど遠くない所(標高270m地点)に車を停めた。リーダーの訓示を得て近畿自然歩道を歩き出す。林道歩きでオマツ谷沿いに登る。権現さんの鳥居のところで下る際に通る林道が合流する。鳥居の枝沢を遡るとカツラ大木に6種の木が規制した"七色の木"があるがパスした。
本日のミッション1:「オマツ谷475m標高点を特定する」は連続して地形の変化を見ていかなければ通り過ぎてしまうので注意を促して進む。林道が右岸から左岸に渡ると標高点は近い。距離と流れ込む谷の地形を読んで行くといよいよそれらしい地形となる。皆2.5万図と地形を見比べここだと確信してミッション1成功。林道はまだまだ続き右側に東屋が現れる。閉鎖されたトイレの裏に赤テープが下がる。どうも踏跡が続いているようだ。地形から見るとどうやら長老ヶ岳へ直登する道のようだ。次に来ることがあれば辿ってみたいものだ。
林道をふた曲がりして次の曲がり角から登山道が分岐するはずなので注視するが、そこには登山道はなかった。2.5万図に記された道はすでに廃道となったようだ。仏主峠を経由するのは諦め、林道をそのまま進む。長老ヶ岳と831m標高点峰の間の鞍部(810m)に到ると東屋がある。傍らの地図には現在地「仏主峠」と記されている。2.5万図が誤っているのか?
後日調べてみると2.5万図は決して誤りではなく和知町仏主と美山町川谷を結ぶ峠として昭和の初めまでは盛んに利用されていたという。時の流れの中、平成3年DDI(今のKDDI)の無線中継所への管理道路ができると峠は討ち捨てられ荒廃していったそうだ。そして登山道も然り。現在のこの場所を"仏主峠"と呼ぶには難があり、"新仏主峠"とでも呼ぶ方がよいだろう。

峠の傍らには石碑があるが何も刻まれていない。ガイドブックによると仏舎利塔だとか?近畿自然歩道の林道はまだ続き右手の方に巻いて行く。稜線通しに微かな踏み跡があり、山頂へと続いている。小休止後この踏み跡を辿りやっと登山道に入る。踏み跡はだんだん明瞭になりやがてイワカガミの群落にさしかかる。大規模な群落で春先はさぞ美しいことだろう。山頂域に達してから最ピークまでは少しの間、稜線をなだらかに歩いて達する。長老ヶ岳(917m)山頂は1等三角点峰で展望も良い。東屋と方向指示版も設置されている。三角点標高は916.88mだが実際は傍に1mほどの自然の高みがあり山岳標高としては919mくらいになりそうだ。
先ずは休憩して超早目の昼食を取る。ミッション2「頭巾山(ときんさん・871m)の山座同定する」とミッション3「青葉山(693m)の山座同定する」の課題に挑む。頭巾山は北東34°方向の二つの峰の間に見える山だと特定できた。次の青葉山は残念ながらこのところ晴天が続いたせいで霞んでしまい全く見えなかった。お題を変更しS方さんの提案で弥仙山(664m)を同定することにした。北西方向の尖がった山が弥仙山でこれも関西百名山いずれ訪れる山だ。
展望の良かった山頂を後にして西の稜線を下る。登ってきた東の稜線は非公認ルートのようだったがこちらは階段が立派に整備されている道だ。100mあまりで林道に出て電波塔の横を通る。やがて林間コース登山道に入りゆるやかな稜線を進む。右手に斜面を下って行く道が分岐しているが方向からして登りの東屋で見つけた直登路のようだ。
785m標高点の手前で上乙見への分岐点があるはずだったがそれらしい分岐は分からなかった。北に進路が変わり暫く行くと前方の尾根の張り出しに展望台の東屋がある。手前で左にカーブし一旦下り上り返すので超望遠で狙うには最適、の皆が辿り着くのを待って写真を撮った。
あと1.1キロの表示に意外な感じを受けながら下り続けると駐車場が見えてきた。ここは林間広場登山口で標高は510m、我々はまだ2.3キロ歩かなければならない。後は舗装道路だ。やがて権現の鳥居に達し朝歩いた道に入り12:25駐車場へと戻った。
国道27号線との分岐地点で待っていた残留部隊の2人が乗ったS方車と合流し、今日の立ち寄り湯日吉温泉へと走る。人数は12人、6枚回数券2冊丁度で安上がり。しかも折からの10周年記念で更に安く、おまけに抽選券まで貰え、皆のお土産購入でもスタンプを押してもらい5回分の抽選券をGETした。
そしてサプライズは最後にやってきた。T岡さんが「この自転車当たったら乗って帰る」と言った矢先、ガラガラを回すと水色の玉が出て本当に折りたたみ自転車が当たってしまった!そしてペア入浴券も!えらい事になってしまった。
入浴券は有効期限内に行く可能性は殆どないので綾部に通われるS方さんに貰って頂いたが、大物の自転車は思案の末、TCが引き取ることにした。参加の皆さんに値段を付けてもらおうと入札を行ったが「貰っておけ」という意見が殆どで、ありがたいことだが気持ちが許さず1万円で引き取ることにした。この1万円は今後の関西百名山シリーズの泊山行を中心に還元していきますので請うご期待。《山紀行656》
【歩行データ計】歩行13.9q 7:20 延登高 1,165m 延下降 1,165m 2座登頂

【感想】6期 M.S.
我が家へ来訪ありがとう
私の記憶と当会「25周年記念誌・あゆみ」によると当会の我が家(綾部)訪問は3度目になる。1度目は'65年10月で「S方宅・松茸狩り」とのサブタイトルが付いている。16人の参加で当時は松茸もまだ取れていて記憶ではダー坊、尾上などが我が家のみならず他人の山も駆けずり回り、それぞれ5〜6本ずつ採り、他の人も1〜2本ずつ採っていたので今から思うと夢のようである。
2度目は'78年11月に「OL近畿大会・綾部」の時で24名の泊りであった。
さて私と私の家のことを書いてみると私は綾部で生まれ18歳までを綾部で過ごしたが、その後はご他聞にもれず京都、大阪で47年を過ごしたことになる(内3年は東京単身)。そしてその47年間が当会に籍を置いた期間とほぼ同じといえる。その間のある時期から自分の老後、余生を考えた時、私としてはボンヤリと「山小屋」のような部屋を持ちたい、それが発展して「ログハウス」を持ちたいと。特に当会の田辺さんの住居(ログハウス)を訪ねてからはますますその感が強くなった。
10年位前からは私がリタイヤーしたら綾部に「ログハウス」をつくるぞ!と考えていたわけです。
昨年、父が亡くなり綾部の家を相続し、まじまじと建物を観察しケヤキの大黒柱、松の巨木を使った梁、ふんだんに使われている40cmはあるヒノキの角材などに触れるとこれは壊すのはもったいないと思うようになりました。今は無いが子供の頃に見た我が家の図面には「明治30年」の文字があったし土蔵の「箱書き」には「天保」や「明治元年」の文字もあり110年以上前の建物と思われるが大変しっかりしているのでログハウスを諦め「古民家風」にリフォームすることにしました。
しかしながら私の思いも入れたいので(1)囲炉裏の部屋を造る、(2)山小屋の雰囲気を味わえる部屋を作る、の2つを取り入れることにしました。囲炉裏の部屋は12畳の広さを取り囲炉裏部分も1畳を取り6人が楽に囲め「自在カギ」のほか「七輪」や「茶釜」も置けるスペースを考えました。
山小屋の雰囲気を味わえる部屋は丸太を半裁にした内装にし2階に造った。その部屋そのものは狭い(5畳半)が納戸も併設、さらに中3階に10畳ばかりの板張りのスペースも造った。そのほか台所、居間、床の間、離れ、バス、トイレ等のリフォームも云うまでもない。もともと枯山水の前栽には玉砂利を敷き、波を打たせ竜安寺と苔寺の折衷狙ったが手間が大変だろう。
そんな「古民家風我が家」に大勢の会員を招き?落としと記念植樹が出来たことに感謝しています。関西100名山例会に参加していた時、ツアコンのY本君が「丹波、丹後の山」はS方宅が完成してから・・・と云ってくれたことに感謝したい。

【感想】42期 M.S. 50期 M.M. (M&M 弱足会)
始めに田舎家を利用する山行き計画を立ててくださったツアーコンダクターのY本さんに、それに参加してくださった皆様にお礼申し上げます。
依遅ヶ尾山は540mの登りだったが、日ごろ山より遠ざかっている私達、M&M 2人には、暑さもあって厳しかったが、いい運動になった。頂上では360度見えるはずが雲があって韓国までは見えなかったがすばらしい景色だった。それを見ながら、ミッションもはたし?た。その後、丹後温泉の湯を浴びて、綾部市へ、家近くのスーパーにて買出しをして田舎家へ。
靴を脱ぐ前に記念樹 匂い椿の植樹祭。めずらしい木で大きくなるのが楽しみだ。それから、S方のこだわりの説明を聞きながらの家中ツアー。後は、男性陣は食事前の一運動よろしく庭の花壇の石運びに囲炉裏の火おこし。女性軍は畑の枝豆の収穫。
食事当番の私達M&Mは下準備をして、皆さんの手際のよさであっという間に夕餉の宴会の用意はできた。ビールで乾杯の後、
S方が植えた今がシーズンの湯がきたての黒大豆、紫ずきん。
S方が育てた大根のサラダ。
S方が9月に収穫したポテトサラダと、現地収穫のメニューが並び、後は炭火焼の天然あゆ、ししゃも、ハタハタ、かます、ミリン干に、ちゃんこなべ、やきそばと、ワイン、高級ウイスキー、酒と共に楽しんでもらえた。
早朝からの行動で、皆様は9時頃には就寝。翌朝パン、ゆで卵、ハム、コーヒーの朝食後、長老ヶ岳に皆は出発した。私達M&Mは、ゆっくりと朝食をいただき、後片付けといっても、女性陣が使った布団はすでにしまってくれていたので、あっという間に仕事は終わった。
こんな山行きならいくらでもやりたい、ツーアコンダクターのY本さん又計画をして下さいと声を大にして言いたい、楽な山行きであったとの私達M&Mの感想でした。

【感想】 43期 K.T.
〈S方邸〉 とても素敵な古民家で感激致しました。 炉や、そこここの工夫、飾っておられた古い品々、どれもこれも私の好みで悔しいくらいでした。 そんな中で過ごさせて頂いて幸せでした。ありがとうございました。M知子さん、M崎さん、料理、後かたずけ全てお世話掛けて申し訳ありませんでした。 畑での取れたての黒枝豆、大根サラダ。炉端焼きの魚、鍋物、全ておいしゅうございました。 あれだけの大人数の料理を、バタバタせず、日常のように作ってしまわれるのは、さすがベテラン主婦と感心いたしました。
次は新緑祭をさせていただけるとか、とても楽しみです。宜しくお願い致します。
そして今回集まったのは、一桁の期の方から最近入会された方まで、年代も幅広く、色んなお話を聞けて有意義でした。 特に小西さんの、山を始められた頃の、女である事の苦労には驚きました。 そんな先輩方の努力があって当会は50周年が迎えられたんだなあと思いました。
〈関西百名山シリーズ〉
初めて参加させて頂きました。 両日とも★一つだし、プラプラ楽しもうと思っていたのに、さすがH史企画、ミッションなどというものが付いていて、ぼっーとさせてもらえない。シルバーコンパスで方向合わすのと、山座同定のやり方くらいは知っているけど地図を片手に地形を読むなんて事は、ほとんどしていない。的確な指導で大変勉強になりました。
このシリーズに続けて参加すれば、かなり読図ができるようになりそうです。H史さんのように名の知られていない山にでも行けるようになるかな? しかし、そんな人が増えればレベルアップで喜ばしい反面、心配も増えるでしょうか?
しかし、もはや裸眼では地図が読めなくなっている私、眼鏡をはめたり外したりしながら歩いたので、脚より目が疲れた山行でした。

【感想】 48期 M.K.
依遅ヶ尾山は丹後半島一の山ということで名付けられ、標高540mですが360度の展望で眼下に日本海が見えるとの事で楽しみにしていました。地形図に登山道の記入がないと思ったら、ミッション1:「登山ルートを地図に書き入れる」で初めから地図を片手に記入しながら歩く。今回は頑張ろうと拡大地図に書き込むが、北へ行き過ぎ山頂を通り越していたので、又ダメかなと思ったら東に巻いて南下で山頂に着いた。辻野さんに教えてもらい、自分の書いたルートが随分西にずれていたのが分った。山頂からは眼下に日本海のリアス式海岸、経ヶ岬は目の前で横にドーム型観測所のある低い山が見え気になった?S方邸で黒豆の収穫作業をさせてもらい楽しかった。夕食で頂いた自家菜園の野菜はどれも美味しく、特に大根とナツメのサラダが好きでした。これから花畑・野菜畑・果実園を広げていかれると聞きました。花・野菜・果物どれも大好きです。又よろしくお願いします。 (長老ヶ岳) 今日も読図頑張ろうと地図片手に歩きました。仏主峠への分岐と思われるところに道が無く、あきらめて舗装されたジグザグ道を40分行くと道沿いに案内板があり仏主峠と書かれていました。地図の位置とは別の所にあり、廃道になると峠の位置も移動するのか不思議でした。仏主峠からの登りは地道でイワカガミの葉が一面、花の時季は素晴らしいだろうと思いました。降りに見つけた、小さなセンブリの花は可愛かった。

【感想】50期 J.O.
花好きでなくとも、イワカガミ(岩鏡)をご存知の方は多いだろう。私は実物を見たことがなかった。山岳会に入って、度々出合うようになった。低山にも咲いている。図鑑の「花期4〜7月」外でも咲いている。斜面一面に咲いていたりする。うつむき加減の小さな漏斗。花びらの先は細く裂けて、振ればしゃんしゃん鳴りそうだ。予想以上の可愛らしさだった。
長老ヶ岳にはイワカガミの大群落があった。上りにも下りにもあった。慌ただしく姿を消す植物が多いこの時期、常緑のイワカガミは目立つ。丸みを帯びた大ぶりの葉はつやつやと光っている。緑の絨緞がピンクの花柄に変わる頃、もう一度訪れたい山である。

【感想】51期 J.T.
今回が例会初参加となりました。
近郊の山といえば大文字山か武奈ヶ岳くらいしか登ったことがなく、ましてや今までガイドブックに載っているような地図しか使ったことのない僕ですが、今回は読図を教えていただけるということで、これはと思い参加させていただきました。
依遅ヶ尾山は、「え?どうやって読むの?」という聞いたこともない山でしたが、じっさいにその山容を見てみるととても個性的な形をしており、名前とともに忘れられない山となりました。山頂からの眺めは、海に近いため見晴らしがよく、爽快な気分になりました。山頂に行者をまつった地蔵のようなものがありました。
その後、S方さんのお宅にお邪魔しましたが、たいへん素晴らしい家で、特に素晴らしいのは家の中の囲炉裏でした。料理やお酒をたくさんいただいて、どれもこれもおいしいものばかりでしたが、なかでも天然ものの鮎を串焼きでいただいたのには感激しました。こんな囲炉裏のあるところで串焼きやお酒をいただくのは夢でした(笑)ごちそうになり、ありがとうございました。
翌日は長老ヶ岳へ。Y本さんに地形図の読み方を教わりつつ、地形図とにらめっこをしながら登っていきました。地形図によればここに登山道があるべきというところに登山道が無く、しばらくは長い林道をひたすら歩いていきました。
山頂付近でようやく登山道に入ったかと思うと急な斜面を直登してゆき、「あっ」という間に山頂へ到着してしまいました。しかし帰りの道はそれなりにちゃんと登山道を歩くことが出来、山登りをしたという満足感を得られることが出来ました。
今回はY本さん(それに他の方にも)に初めて読図を教えていただき、初めてコンパスの使い方が解りました。地図でコンパスをあてた山が、実際にコンパスを指し示した方向にあったときはちょっと感動してしまいました。読図ははっきりいって、まだ完全に理解できていないのが正直なところですが、これから練習を重ねてなんとか出来るようになりたいと思います。
Y本さんをはじめみなさま、覚えの悪い僕に辛抱強く読図や、他にもいろいろな事を教えていただき、ほんとうにありがとうございました。

【リーダー所感】 2期  M.T.
今回のS方邸落成記念山行はまずドライブからはじまった。8時に9号線.道の駅丹波マーケスに集合.一路丹後半島間人にある依遅ヶ尾山を目指して出発。27号線を経て和知インターから京都縦貫道を天橋立ICまで快適なドライブを楽しむ。482号線を経て登山口の駐車場に着いたのが10時。予定より1持間早い。
標高差360mの登山道はよく整備され道標も設置されていた。頂上で昼食後.S方・Y本君らにより登山ルートの記入.金剛童子山.太鼓山の山座同定する講習を受ける。下山後丹後温泉で汗を流し一路綾部のS方邸を目指す。途中夕食.朝食の食料をスーパーで買出しをした。
私事で恐縮ですが綾部は昭和20年3月小学4年生の時7か月間四方邸から西へ10キロの「物部」」という村のお寺に集団疎開していた懐かしい所で.無理を言い記念植樹.夕食の用意等を免除してもらい60年ぶりにお寺を訪問してきた。60年ぶりの「物部」への道はすっかり拡張舗装され昔の面影はなかったが随所に思い出すところが見られ懐かしさでいっぱいだった。寺から約4キロ毎日通った物部小学校もすっかり変わり昔の面影はなかった。 S方邸に戻ると35年ほど前とは外観は変わらなかったが.内部はすっかり改装され畳1畳以上もある立派な囲炉裏が目ひいた。その囲炉裏を囲んでの食事は天然の鮎の塩焼き.干物の焼き物.自家製の枝豆.サラダ.ビール.S方君提供のワイン.バレンタインの21年物で盛り上がり全員至福のひと時を過ごす事ができた。感謝・感謝・感謝・・・・・・。
19日出発は朝食が早く終わり予定より30分早く6.30分S方邸を出る。27号線を左折上和知川沿いに車を北へと走らせ仏主の集落を抜け登山口の駐車場に車を置き登り始める。道は行けども行けども「近畿自然歩道」とは名ばかりのアスファルトの林道が仏主峠迄続く.標高差約100m距離にして600m尾根を登ると頂上についた。昼食後オマツ谷標高点.頭巾山.青葉山の山座同定の講習を受ける。下りは時計回りで直下の電波塔.東屋(2ヵ所).展望台.を経て登山口に到着。下りコースは山道らしく山の雰囲気が味わえた。帰ってから地図を見ると「長老」に登るのは上乙見からのコースの方が良かったのではないだろうか.(行ってみないとわからないが)。27号線で家の後かたずけのため今日の山登りに参加できなかったS方夫人.M崎さんと合流スプリングひよしに直行.汗を流し目出度く解散。
今回ツアーコンダクターのY本H史君.綿密完璧な計画.ご苦労さんでした。又.立派に改装され都会では味わえない雰囲気のS方邸にお世話になり有難うございました。


inserted by FC2 system