京都比良山岳会
K.H.M.C. -- KYOTO HIRA MOUNTAINEERING CLUB -- ■ 入会案内 ■ メール
ホーム | 会の案内 | 予定 | 活動記録 | リンク | 掲示板 | 会員専用
活動記録 > 2007年
[個人] 日本岳・小普賢岳《山紀行625》


京都に木枯らし1号が吹いた。親父殿の山岳会例会一行が前日和佐又山の麓で幕営し夜明け前に大普賢を目指した。例の如く途中からJOINし霧氷の山を巡ってきた。
【日程】11月18日(日)
【天候】小雨、山頂域霰
【参加者】48期 H.Y.

【行程】京都2:22=和佐又スキー場P4:48-6:00〜和佐又山6:18-20〜日本岳分岐7:00〜日本岳7:06-08〜日本岳分岐7:14〜小普賢岳7:29-31〜大普賢岳8:05-12〜弥勒岳8:42〜国見岳9:17-19〜七曜岳10:08-19〜無双洞11:58-12:05〜和佐又スキー場P 14:15=中荘温泉15:46-16:37=京都20:10


吉野町から国道169号線を南下し山中に入るとフロントガラスに水滴が付き始めた。上北山村の天気予報は晴れだったのに、もう冬型の気圧配置が強まっているようだ。新伯母峰トンネルを抜けてすぐ左折し急勾配の舗装道路が続く。その終点に和佐又スキー場がある。大きな設備を予想していたが、リフトもなくゲレンデもお愛想程度。キャンプ場には数張りのテントがあり、その内の2張りが我が山岳会のもののようだ。
夜が明けるまで仮眠して、山岳会一行に遅れること30分先ずは和佐又山に登る。強くはないが時雨れているので防寒を兼ねて雨具を着けて歩き始める。登山口は和佐又ヒュッテの奥から始まり整備の行き届いた登山道で薄暗い中でも問題はない。登山口のスキー場はすでに1,160mの標高があり和佐又山(1,344m)まではひと登り18分で到着。木立の隙間から東に連なる台高山脈のスカイラインが朝焼けに赤く染まっている。天候回復が期待できるかも・・・
山頂には3等三角点があるが、改測中で使用中止になっているようだ。北西に下るとすぐに和佐又のコル(1,245m)でスキー場から北側の山麓を巻いてきた道と合流する。更に5mほど先で更に登山道が分岐し、底無井戸、無双洞を経由して七曜岳に到る巻道を分ける。尾根道を登り返し1,505m峰の麓まで来ると、叔母峰辻で笙ノ窟尾根(しょうのくつおね)が新伯母峰トンネルの上を通り台高山脈と連結している。分岐には標識もなく、辛うじてテープが巻かれている程度だった。
笙ノ窟尾根は1,505mピークから日本岳へと続いているがピークの西側が垂直の絶壁でザイルがなければ通過できない。そういう危ないところは避けて順路どおり日本岳の南を巻いて"指弾窟"、"朝日窟"、"笙ノ窟"、"鷲ノ窟"と続く岩盤の下にできた窪みが修験道の行場となっている。中でも笙ノ窟は大峰奥駈七十五靡(なびき)の一つ六十二番靡の行場で小さな祠が鎮座している。そのような岩場の巻き道だけあって決して楽な道ではない。
テントを張っていた人達だろうか3人パーティーを追い越すとすぐに日本岳と小普賢岳の間の鞍部に達し笙ノ窟尾根に乗り上がった。何故かここに「日本岳1,505m」の標識があるが場所も違えば標高も違う!地図に表示はないが、右に微かな踏み跡があり、さして問題なく日本岳(1,550m)に登ることができる。分岐から6分で山頂に達した。展望はないが小さな山頂標識が二つ迎えてくれた。その一つには( )書きで「孫普賢」と書かれていた。その他「文殊岳」という名もあり信仰の山としてはこちらの方が良い。いずれにしても「日本岳」とはまた何と大きな名前だろうか。山形だったか新潟だったかに「日本国」という山もあったな。
分岐に戻り険しくなった登山道を進み10分も行くと"石の鼻"と呼ばれる岩場の展望地に出る。すでにガスの中に突入し何も見えない。時雨も高度が増すと霰に変わり吹き溜まって白くなっている。気温は確実に下がっていることが分かる。石の鼻を通過して更に10分余り歩くと登山道横に「小普賢岳1,640m」の表示、登山道は北側を巻いているようだ。左に微かな踏み跡があり辿っていくと山頂へと続く。小普賢岳山頂に展望はない。縦書きの山頂標識だけがぶら下がっていた。
西斜面にもほんの微かな踏み跡があり、大普賢岳との鞍部で巻き道と合流することができた。大普賢への登路を進むと、8名のパーティーが見えてきた。近づくとこれぞ京都比良山岳会の一行だった。Tさんが先頭でリーダーの親父殿が最後尾の隊列で進んでいた。初めて挨拶を交わし、例会の後に金魚の糞のように付いて行った。
以下は例会報告に譲る。
【登山データ】歩行11.6q 8:15 延登高 1,479m 延下降 1,479m 7座登頂


inserted by FC2 system